モダンボーイズに想いを馳せて
はぁ…今やっと矢萩奏の呪縛?から解き放たれたとこです…
でもそれも、加藤シゲアキ吉川英治文学新人賞と言うハンマーを反対方向から打ち付けられたからなんですけどね…
いや告白すると全然落ち着いてません。
雑誌は山積、会報は開けっ放し、あまりだらしいい方ではないんですが…これはやばい状態ですのよ。
やっぱりここは一つ浅草エフリィ様麗しいモダンボーイズの姿を拙いながらも書き留めておかないと、やらなけらばならない事も手につかないのではないかと…
他の方の感想もちゃんと見たいしね。(吐き出さないと観れない人)
さぁ?何から語るー??癖から?癖から??(なんだかんだで乗り気w)
第一幕。
これはもう!加藤シゲアキの演技が好きな人は絶対好きだよね!と言う、
加藤シゲアキ真骨頂の場面が多々。
純粋な少年のように興味がいろんな方向にいく奏くん
育ちが良くて、純粋にプロレタリア思考に傾倒していく奏くん
追われ傷つき倒れる奏くん
みんなに心配される奏くん
自分だけ助かる事に傷つく奏くん。
苦悩すると言う姿がこんなに似合う人まずいないよね。
だからいつも重く苦しいテーマのドラマでもついつい観てしまうんだ。
美しく苦しむシゲアキさんが観たいからさ。うんごめん…
でもほんと、そのうまさは群を抜いてると思うのよ。
兵に追われて逃げ込んできたシーンは息を呑んだもの。
加藤さんには、何かに追われ、秘密を保って耐え抜くと言う役をやってほしい。
絶対やってほしい…それは何かは知らんけど…
そんな一幕ですが、私はずーっと夢子のセリフに泣いてました。
なんだかわからないけど泣いてた。
そして気づいたんです。
あぁ…私一年、自分を押し殺していたのかなぁって。
私は人の笑顔を作る仕事をしてる人が好きなんだ。
それはエンタメに限らない。美味しい料理を出すレストランも。人を癒すテーマパークも。
人が笑ったり元気になったり感動したりすことで、本当に幸せそうな顔をする人がいる。
私はそんな人を見るのが好き。
それがこの一年、そんな人が報われなくなってしまった。
そんな人々と夢子のセリフがリンクしていたんだと思う。だから涙が出た。
夢子にしても菊谷にしてもものすごいエネルギッシュ。エネルギーが迸っている
それこそあのレビュー小屋の全員がそう。癖があってパワフルで。
でもそうしなきゃ生きていけないような人たち。
そこに迷い込んできた奏を演出の一色さんは「不思議の国に迷い込んだアリス」と表したけど、私には奏が純真で無垢な人とは何か違う世界の人だなと感じた。
パワフルでエネルギッシュで民衆とか大衆とか、私はそんな力強さが好き。
そんなパワフルでエネルギッシュな人達でも魅了させてしまう。奏の歌声。
一幕はそんな奏の才能の開花で終わります。
奏が歌や見た目だけじゃなくチャーミングで人を魅了すると言うのを、この脚本では丁寧に描かれています。キャラクターとしての魅力もちゃんとある。でも筋もきちんとある。
そこがいい。
第二幕。
弾けてしまった奏くんから始まったのに若干引いたw
いや、シゲアキさんはかっこいいのよ。様になるのよ。
でも、あの薄幸さはどこいった?と言う感じだったけど、
なんだかんだで素直で嘘の付けないタイプの人間が頑張るとこうなるんだな
と言うその愛おしさが描かれているのがまたいいよね。
奏くんは舞台での人を笑顔にすることに徐々に喜びを見出している様子。
でもまだ甘いんだよね。育ちの良さが出てる。
そこもまたいいんだけど。
奏は天性のスター性はあるけど人間的にはグラグラですごく悩む。
でも志というか根はすごく優しい。
思うのは弱者の事ばかりなんだよ…上流の出ある自分を恥じてる。
そんな彼にいろんな悪魔が誘惑をかけるわけだ。
まぁさ?育ちがいいから金では動かない。それはかっこいい。
でも思想では教育を受けているだけにグラグラしっぱなしだ。
後半は夢子より菊谷の言葉に心動かされる。
演芸は何かということ。
人の喜びは何かという事。
思想も政治も大切ではあると思うよ?でも普通に生きてる人にとってはほぼ関係ないんだ。
思想でも政治でも生きてはいけない。
腹の内から溢れるエネルギーを生み出すのは、本来不要不急と言われているものなんじゃないかって。
菊谷は言う「僕は大衆って言う言葉も嫌いだ!」
私はこれの真逆でいて同じ事を言っていた。
「私は文学芸術より大衆文化の方が好き。エネルギーがあって人に寄り添ってる。人とともにある方が私は好き」
人が楽しんでる時そこには性別も年齢も職業も趣味も何も関係なくなるはずだ。
どんな格好をしていてもどんな悩みがあったとしても、人が生み出す大きなパワーを受けて、それを活力にまた明日から生きていく。
素晴らしい世界だと思う。必要不可欠な世界だと思う。
二幕の奏さんは素敵だった。スターだった。でも人間らしいチャーミングさもあった。
大人な演技だった。もしかすると加藤シゲアキさんの新骨頂ではないかと思うくらい。
歌もダンスもどこかセクシーで、それこそ昭和モダンな婦女子達を虜にするほど素敵だった。矢萩奏は実在の人物じゃないけど、加藤シゲアキが息吹を吹き込んだ。確かに昭和のあの場所に矢萩奏、浅草エフリィーは実在したんだ。
夢子は自分の信念のためレビューを去った。
そして、菊谷栄も…
あぁ…やはりここまでやるのか…
そう思った時、菊谷の最期を思うと私の心に暗い影が立ち込める。
でも、それを払拭してくれたのは浅草エフリィーだった。
華麗に白の燕尾服で現れたエフリィーはみんなの心の太陽になった。
永久的なスターだった。
菊谷の思いも才能も芸術も何もかも死なないことを私はその時知った。
矢萩奏は菊谷の思いも夢子の思いも乗せて現代まで蘇る。
エンターティメントという世界で、人に夢と希望を見させる。
現代に生きる加藤シゲアキが矢萩奏に浅草エフリィーに息吹を与えた。
私はそれが嬉しい。
エンターティメントは死なない。
それを加藤シゲアキがそれをやった。私はそれが嬉しい。
だって彼が出てくればみんなが笑顔になるスターだからだ。
月ではないんだよ。
そして、一刻も早くみんなが笑顔の日々がまた訪れますように。
最高の舞台をありがとう。
そして、より多くの方がこの舞台を見ることができますように…